愛のため以下略

私の愛を軽く見るな

好きな服を着ること・「だから私はメイクする」を読んで考えたこと

だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査

だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査

新卒で就職したのは、明確な服装規定はなかったものの、いわゆるオフィスカジュアルが求められる会社だった。
同じフロアには客先に出る業務の人もいて、その人たちはスーツが基本だった。だからそれ以外の人たちもあまり華美な服装はしないでね、というのが、そこに存在する暗黙のルールだった。

明文化されていないもののみんなが守る(そして守らなければひっそりと、だが強く非難される)暗黙のルール、というのは他にもあって、たとえば新人は始業時間の30分前に出社するとか、新人は黒パンプスだとか、今も思うとまったく意味が分からないし守る必要は全くないと断言できるものだけど、当時新人だった私はそれをびくびくしながら守っていた。
その頃おもに着ていたのはナチュラルビューティーベーシックや、時には無印やユニクロのベーシックなラインの、派手でなく体のラインの出ない、無難で、比較的誰にでも似合って、誰からも敵意をもたれない、そんな服だった。
ある日ジルスチュアートの、ボタンにランダムにラインストーンがあしらわれた服(今思い出しても超かわいい)を着て出社したら、同じ部署の女性の先輩が冷たい口調で「その服、会社に着てくるんだ」と言った。
今の私なら迷わず「はい、気に入っているので」と答えるけど、当時社会人になりたてで、最初に就職した会社がすべてで、この会社で受け入れられなければきっと社会のどこにも受け入れてもらえないと思っていた私は、その服をそれ以降着なくなった。

紆余曲折あって今、相当に自由な職場で働いている。服装規定はまったくない。靴が窮屈だからという理由でビーサンで仕事をしている人もいれば、落ち着くからという理由でスーツを着ている人もいる。みんな他人の服装を気にしないし、私も好きな服を着ている。
私はひらひらした服や透け感のある服、キラキラしたモチーフや光沢のある生地が好きでよく着ているので、ときどき「ステージ衣装みたいですね」と言われてしまう。でも、別に嫌味ではない。そう声をかけてきた人はストリートダンサーみたいな格好をしていたりするから。

その人にとって私の服は「ステージ衣装みたい」だし、私はその人のファッションを「ダンサーみたい」だと思う。お互いのファッションセンスはたぶん理解できない。でも、それは仕事をする上では関係ないことなのだ。
そんな当たり前のことに、社会人になって数年経たないと、そして会社を変えないと、私は気付かなかった。

好きな服を着ていると楽しい。
最初の会社では、服は自分を無害な人物だと証明するための、他人のためのものだった。
けど今は、自分の機嫌を上々に保つための、自分のテンションを上げるための、自分のためのものだ。その状態は、思っていたより楽しい。
今日の服イマイチだな、と思うときもあるけど、それも含めて試行錯誤できている状態が、とても楽しい。

別にファッションのプロじゃないし、見た目を武器に生きているわけでもない。でも、自分の一番外側を自分の意思で、自分の好きなようにコントロールできることは、とても楽しくて素敵なことだ。「だから私はメイクする」を読んで、そんなことを考えた。