愛を叫ぶ場所があることと、誰かの何かを消費していること
そりぱの円盤が発売されましたね。
翼「そんな俺たちSolidSの魅力が、ここ最近では一番ガツンと詰まった1枚!!それが…『そりぱ』!!是非是非買ってくださいな♪
— SQ公式 (@solids_info) 2020年6月25日
以上!奥井翼がお届けする臨時そりらじでした〜♪
Blu-rayの画面越しにまた会おうね!バイバイ☆」https://t.co/s9aB6UdGMj#臨時そりらじ pic.twitter.com/ioZHND0GD2
フォロワーさんにお誘いいただき、たいへん幸運なことに夜公演に行くことができました。マジで一生忘れないレベルのご恩なので、しつこく恩返しをしていこうと思います。たくさん遊びましょう。でもそれ私が楽しいだけだな……。何か欲しいものあったら言ってください(私信)
イベントやコンサートが通常通り開催できなくなった生活の中で、あの夜のことを時々思い出します。久しぶりにライブで吐きそうなくらい緊張した。ライブ行くとき何の必要もないのにおたくがめちゃめちゃ緊張するのほんと謎ですね。毎日のように聞いていたSolidSの歌が約1年半ぶりに生で聴けると思ったらなんだか情緒がぐちゃぐちゃだった。超楽しみなのに帰りたいという謎の気持ち。バグかな。
おたくやってると何回か「この景色たぶん走馬灯に出てくるわ」というシーンがあって、ステージに4人が出てきた瞬間、そして真っ赤な客席の前に立つ4人を後ろから映したモニターの映像は、my走馬灯の中でも間違いなく上位に入るでしょう。
ハロプロと二次元のおたくを、いずれもゆるく長年やっています。
ハロプロの場合、規模の大小はあれど春夏秋冬なんらかのライブがあり、それ以外にもリリイベなどでミニライブ的なものが頻繁に開催されているので、こんな非常事態でもなければ生のパフォーマンスを観る機会に不足することはほぼない。
一方、二次元作品のイベントは完結などの節目に開催されることが多く、定期的に実施されることは稀。そしてイベントが実施されたとしてもトークやミニドラマ主体で、そりぱのようなライブイベントは開催されることすらめちゃめちゃ貴重。開催できても多くて年1、単発1回きりで終わることも多い。うたプリみたいに定期的にライブイベントが実施される作品は王族だと思ってます。アイドルで言うと嵐レベル。
ツキプロの場合2018年にアーティスト4組合同のライブが富士急という縁もゆかりもない場所で開催されていたので、なんならもうライブイベントはないのかなぐらいに思っていた。中の人たちも業界最高レベルに忙しいでしょうし。そんな中で開催までこぎつけてくれた方々に感謝です。
二次元アイドル作品は一通りバブルを終えた感があるけど、それでもまだたくさんある。ツキプロと同じような作品はたくさんある。その中で、ツキプロが、SolidSが、選ばれ続けるとは限らない。私が選び続けていても、選ぶ人の絶対数が減れば、ライブはおろか新曲や新作ドラマが供給されなくなる日も、来るかもしれない。そんな中であの日、SolidSへの愛を叫ぶ場所が東京国際フォーラムにあったこと。音楽の渦に飲み込まれることができたこと。月並みな言葉だけど、本当に奇跡だと思った。
そして先日笑っちゃうぐらいタイムリーに中の人のひとりがフライデーされていて、声優さんも大変だなと思った。彼は、果たしてなぜ、何のために私生活を暴かれたんだろう。
あの夜、ステージに立っていたのはキャラクターではなく、生身の人だった。一挙手一投足に歓声が上がるその姿はさながらアイドルだったけど、キャラクターに声を提供してくれている、それ以上でもそれ以下でもない、私たちと同じ生身の、それぞれに感情や思想を持つ人たち。さまざまなリスクを抱えながら、エンターテイナーとして人前に立ち続けることを選んでくれた人たち。
少なくとも、あなたがそこに立ってくれたからあの夜が最高のエンターテインメントとして成立していたことは確かで、それで私がその夜からも生きていけたことも確かなんだけど、キャラクターの中の人を、キャラクターと紐づけたまま三次元の場に引きずり出して消費するような真似を、私たちはこのままし続けるんだろうか。
消費し尽くした先に何が残るのか。生き残り続けたとして行き着く先はどこなのか。私が消費しているのは誰の、何なのか。答えはないし、答えを持ったところで私にできることはおそらくないのだけど、せめて誰かの何かを消費している当事者として、その人がおかれる環境に意識的でありたい。