愛のため以下略

私の愛を軽く見るな

苦手な話と今キミの話

先日「地雷ってありますか?」という会話をしていて思い出した、地雷ってほどじゃないけど「本人たちが幸せならばそれでいい」(メリバっていうの?)系の話が苦手だなあという話と、今キミはいいぞという話です。


乙女向け作品には「狂愛」や「歪んだ愛」や「危険な恋」を要素として含む作品がまあまあの割合で存在していて、それらは比較的高い確率で「(一般常識に照らして解釈すると必ずしも幸せとは言えないけど)本人たち(あるいは、ヒロインかヒーローの少なくともどちらか)は幸せ」というエンディングを迎える、気がする。

たとえば帰り道で拉致され、強制的に結婚させられるけど男性は大金持ちで何不自由ない暮らしをさせてくれ、深く愛されて暮らす、とか。これはヒロイン明確に嫌がってたけど。
たとえば出会った運命の人がマフィアで、諸々あって一緒に海外に逃亡する、とか。これは幸せな話だったけど。
たとえば足を縛られた状態で監禁され、紆余曲折の末逃れるために足を切断する、とか。
たとえばあられもない姿を生放送で晒してしまったけど君は永遠に僕と幸せな檻の中にいようね♡とか。

主人公であるところのヒロインは拉致されたり傷ついたり孤独になったりなんやかんや酷い目にあっている。けどまあたぶん見方によっては幸せである。そんな話。
でも、ついつい、えっ周りの人はこれをどう思ってるの?どう受け止めてるの??と思ってしまって、純粋に楽しめない。

しなくていいのに想像してしまう。いきなり娘を失った親や、大事な人を傷つけられた誰かの気持ちを。残された人が向き合わなければならない空白や、やり場のない怒りや悲しみを。愛情を注いだ誰かの、生々しい感情を。
いきなり家族が足切断して帰ってきたらショックだし傷つくし、守れなかった自分を責めてしまうと思う。昨日まで家にいた娘がいきなり帰ってこなくなったらパニックになるなんてもんじゃないし、友だちがいきなりネットで炎上したら驚いたり心配になったり怖くなったり怒ったりそんな自分に嫌気がさしたりで精神が死ぬと思う。


人間の感情はいつだってフィクションのようにクリアじゃなくて、割り切れなくて、重たくて生々しくて切実だ。本人たちが幸せだから(他の人がどんな感情を抱こうと)それでいいというのは、他の人の感情をスルーすることと同義だ。それは、「他の人」になってしまった誰かにとって理不尽で、暴力的なのだ。だから、せめてフィクションの中では、誰かの複雑な感情のうえに立たない幸福が描かれていて欲しい、と思う。全員幸せになるなんて無理な話だけど、誰かの不幸とともに成り立つ幸福よりも、そうじゃない幸福の方が、こころに優しい。


そんなわけで最近は終始ハッピーな作品が好きです。
誰かを好きになることで自分も周りも幸せになるような、そんな話。みんな今キミを聴こう。

今、隣のキミに恋をする。CASE3 朝日奈 朔

今、隣のキミに恋をする。CASE3 朝日奈 朔

今、隣のキミに恋をする。CASE2 東屋大志

今、隣のキミに恋をする。CASE2 東屋大志

今、隣のキミに恋をする。CASE1 一ノ瀬 司

今、隣のキミに恋をする。CASE1 一ノ瀬 司


朔さんはヒロインに恋をすることで家族と向き合うことができたし、司くんの一途な気持ちは引っ込み思案だったヒロインに自信を与えたし、大志くんはヒロインの言葉に勇気付けられて自分の道を選び取ることができた。どのお話もとても温かくて優しくて、安心してリピートしています。


余談ですが、主人公に肉親がいなかったり、友だちが描写されてなかったり、分かりやすく天涯孤独設定にされていると、「お気遣いありがとうございます」と思ってしまう。ああこの人がどんな目にあっても悲しむ人はいないのね、と思えるから。ディアラバなんかが私の中ではそのカテゴリ。たぶんそういう意図の設定ではないと思うけど。でも、安心してお話に没入することができて個人的には嬉しい。